created: 2020-12-31 19:07, tags: 振り返り,
2020年振り返り
せっかくブログも作ったので、2020年の色々を振り替えろうと思う。
- 仕事の話
- 勉強の話
- お金の話
仕事の話
仕事では去年に会社の業務範囲を変更し、基本的に組織や人材を育てる業務を請け負い、開発を請ける事をやめにした。そのため、準委任で請けるフリーランスとしての業務は個人に変更し、技術顧問業のみ会社で請けるという形でスタートした。
1 ~ 3 月末まで
フリーランス業の方では、ギフト関係の社内システムの開発を去年からやっていたが、色々あり前任者が実装していた部分を再設計 ~ 実装のやり直しをする事になり、その基盤部分を担当していた。技術構成としては Laravel + Vue.js で割とオーソドックスな構成で、この辺りは特筆する程の話は起こらず、淡々と再実装とテストを書くという流れだった。
IPO を狙うという事で、なるべく長く居るつもり (クライアントのやりたい事はたくさんあったので) だったが、コロナが 1 月 ~ 2 月でどんどん脅威を増しているという流れと、クライアントの組織事情で状況が大きく変わってきたため、3 末で案件を終了して少しゆっくりするつもりだった (が、まぁ結局仕事で埋まった)。
その時に技術顧問で入っている企業の案件ヒアリングで訪問した企業 (今の契約主) の社長と個人的にご飯に行き、4 月から暇になる予定という話をした所お誘いを頂いたため、週 3 という条件ながら快諾頂いた。
業務内容は今までとは大きく変わり、組織の DX 化を手伝うというもの。 EC をメインに展開している企業で、社内にはエンジニアはおらず、社内の IT 部門を立ち上げ社内全体の業務改善やトラブル対応を行なう傍らで社内業務のデジタル化を検討している所で、社内を牽引できる人材が欲しいという事で参加する事にした。
特に、自分の次のフェーズとして、拡大期に入っている企業で、人材育成と組織ビルディング、ルール作りなどを主軸に入って参加できるというのは欲しかったため、非常にありがたい話でもあった。
4 月以降
4 月から本格的に現場入りした (3 月は週 1 で入っていた) が、丁度この頃にコロナによる非常事態宣言が出る頃だったため、急ピッチで社内のオンラインでの業務態勢を構築、優先度の高い人から社内へ接続出来る環境のセットアップと端末支給対応、間に合わない人は個別で緊急対応を構築をしていった。
この事態が出るまではオンライン業務の態勢は構築していなかったため、2 週間程度で緊急対象者が全員移行完了できる事を目標として行動、平行して社内の情報セキュリティポリシーや秘密情報の扱いの見直しなどを進め、オンライン業務に当る人への資料配布と説明の実施を行なった。
また、そのまま社内のコミュニケーションツールの再選定やワークフローの調整、データの扱いの規定などを引き続き行ないつつ、社内のデジタルツールのトラブル対応や相談対応を行なう事を中心としつつ、会社の次の展開の為の情報収集や要件定義を行ない始めた。
社内で段階的に採用されていったソフトウェアが段々要件に合わなくなり、それをメンテナンスできる人材の不足や、再構築やカスタマイズ費用などの問題で着手できていなかった問題に着手ができるようになりつつあったのが 6 月辺りとなった。
この時に DX とは自社で必要なツールのメンテナンスや情報規定、必要であれば製造までできる態勢が必要なのだなと理解した。
そこまでやる事でようやくデジタルによって業務が推進される状態になり、業務上ボトルネックになり易い問題を解消するだけの態勢が社内で構築できる。それが出来ない以上はどこまでいってもソフトウェアを使っているだけで、ソフトウェア上で問題が発生した時にそこがボトルネックになって止まる。
これが実感として体験できたのは良かったなと本当に思う。
自分がソフトウェア開発者である場合や開発企業に務める場合はあまり直面しない問題に遭遇できるし、製造 ~ 販売まで全て自社で扱う企業だったため、自分が経験していない事を経験できる良い機会だったと思う。
今は自社で必要なシステムの構築を行ないつつ、開発組織のビルディングと人材育成を任せて貰っているため、来年はこの規模を広げていく所に注力していくと思う。
勉強の話
今年は技術をキャッチアップする事はあまり出来ず、DX や組織論、教育の学び直しに時間を割いていた。
6 月くらいまでは案件変更や技術顧問先の業務追加、大学の非常勤講師業のオンライン授業化などの対応でかなりの時間を使い、少しでたプライベートの時間は寝て過す事が多かったように思う。
また、最近の WEB の停滞感を非常に強く感じており (停滞しているのは自分の業務範囲による部分であり、WEBフロント技術の変化はそこそこあったようには思う)、集中して覚えたいという技術が無かったのも要因だった。
後半では Next.js + SSG が少し興味が出たため、Jamstack でブログを自分で作ってみようという気持ちになって作ったりしたため、今までやってこなかった React.js 関連技術はある程度学べたと思う。
年末あたりにはこのモチベーションの無さは良くないなと思い、Rust でコンパイラを作るというのをやっていこうかと Rust でコードを書き始めたり、リポジトリを探してコードを読んだりを始めてみた。
WEB と周辺技術に感じる事
この間ツイートしながら、自分は今 WEB にあまり明るい未来を感じていなくて、どんどんと開発者は別のステージに移行していくんじゃないかと思い始めてきた。ではどこに行くのかと言われると、あまりハッキリとイメージできていないけど、単純にサービスやアプリを開発するというのはもっと一般的になって非技術者が気軽にやるようになるんだろうな、という気持ちがある。
これは、今お手伝いしている企業の人で社内用の業務効率化を進めている人がエンジニアではないけど、自分でどんどん Python で対応しているのを見ながら、「これはエンジニア不要になるな」という気持ちを現場で感じたからである。
どんどんとエンジニアに求められるものは上がっていき、チームに 1 人スペシャリストを置いて、残りは自社メンバー (非エンジニア) から選出して進める形は増えるかなという気持ちが強い。
それくらいに WEB 技術は作るだけなら簡単になっており、運用もノウハウさえある人材が指導してくれるなら、特別な事はそんなにないなという感想を得た 1 年だった。
では自分はこの流れの中で生存戦略としてどうするのか、という疑問はあったけど、特にどうもしないという事で決定した。
おそらく、自分に要素ごとの専門的で深い知識はなく、名立たるエンジニア企業で求められる人材ではないかも知れないが、WEB フロントもサーバもインフラもクラウドもアプリも Unity もそこそこ分かるし、育てられるというのは今そんなに人材が居る訳でもないなという結論に至ったからである。
その中で自分がこれ以上何か技術を求めるとすると、低レイヤを扱う能力で、今まで意図的に避けていた部分である。この選択事態はそんなに間違っていなかったと今でも思ってる (それは、10年前は低レイヤよりも WEB などのアプリレイヤの方が即金性が高かった)。それは、WEB は先程も書いた通り、停滞気味で、ある程度動きが落ちつきつつある (今良く使われている技術は大体 10 年前 ~ 5 年前くらいで自分が触れていた物が多く、以外性が全くない) 中では価値ある今の自分のリソースを割く程ではないと思っているからである。
来年に向けて思う事
自分の短いエンジニア歴の中で見ていても、世の中で求められ、金銭的価値の高くなる職というのは WEB が多いが(ビジネスとの相性が抜群に高く、お金になり易く、最初に必要になる事が多いため)、そのステージの人材はプログラミングスクールを含め多く排出されていくだろうし、わざわざ自分がやらなくてもという気持ちも強い。
ただ、自分が仕事の領域として低レイヤを中心にやっていくかというと、そんな事はなく (今までそこに注力していた人や若くて勢いのある人材に勝てるとは思っていない)、単純に WEB でやりたい事が無くなったので、自分の出来る事を増やしつつ、楽しい事をやりたいと思ったからである (Twitter でコンパイラやエディタ、OS やブラウザなどを作っている人が本当に楽しそうで、自分も作りたいという気持ちはあるため)。
あまりまとまってはいないけど、来年は Rust を中心にコンパイラ周りをちゃんと学ぶという (今まで何回かコンパイラチャレンジしているけど、時間が無いを言い訳にやらなくなったりしている) 事と、WASM に時間を投資していきたいと思っている。
WASM は普及にはまだまだこれからな技術だろうとは思うが、WEB で今残っている唯一の時間投資しがいのある技術かなと思っているので、Rust と相性が良いのも踏まえてやっていこうかなと。
お金の話
去年の夏前くらいから個人の資産形成をちゃんと考えようという意識になり、色々なものとの向き合い方を変え始めていた。
自分が起業した時 (起業といっても登記しただけで、単にフリーランスとして活動を始めた程度の意味でしかないが) は、会社運営と法的な手続き、税制などあらゆる事に興味があったため、自分の稼ぎを使って経営を指南してくれる人に依頼してマンツーマンで進めていた。
3 年くらい一緒に仕事をし、色々な相談や指導を行なって貰ったため、安くはないお金ながら学びが大きかったため、感謝しかない。
とはいえ、その期間中、それなりに稼げていたにも関わらず、会社も個人もあまり資産を増やすという所が上手くできていなかったため、自分が結婚するという事も踏まえて資産形成を考える事にした。
その為にやったのは、下記だった。
- 掛かっているコストを下げ、本当の意味で自分でやる
- 自分の時間を作る
- 働くステージを変える
1. 掛かっているコストを下げ、本当の意味で自分でやる
1 は最初に手をつけた部分で、各所に非常に申し訳ない話でもあるが、会社の方針を変更するため色々なものを切る事にした。経営指南もその内の 1 つで、会社に掛かるコストを一度ミニマム化するため、断わった。
そして、元々の気持ちが強かった人材育成系のみに集中させ、単純な開発業は個人でしか請けないようにした。 会社の内容を教育に集中させる事で、色を固定し、なんでも屋という属性を外したかったのが一番の理由でもある。
それまでは、社員を SES で出向して貰ったり、自分もそれを請けたり、教育もやったりとで業務内容がぐちゃぐちゃで何をやっているのかが見えないなと思ったからである。
この効果はまだ実感する所ではないが、法人の属性をちゃんと作る事で他者に説明し易くはなったかと思うし、覚えて貰い易くなったのではと思う (し、そういう人だと認識して貰い易くなった)。
2. 自分の時間を作る
2 に、自分の時間を作るだけど、これは単純に個人請けする時間に制限を掛ける事にしたという話。
時間を一番に考え、次の一手を考えたり、自分の属性を固定するために週 3 を最大として請ける (週 1 は非常勤講師業があるため、法人側の業務日を 1 日確保したかった) とした。
結果的にはそれで仕事を今貰え、週 4 で請けていた時よりも総額も上がっているため、間違っていた訳ではないんだろうなと思っている。
とはいえ、時間を空けたつもりが、空けた事を色んな人に言っていると、仕事を捩じ込まれたりしたので (本当にありがたい話)、空けて良かったのは売上が上がった事としか言えなくなってしまったのは反省点。
でも、このおかげで来年やりたい事をやれそうな状態になりつつあるし、今年はがむしゃらに働いて良かったとは思う (来年もっと働けというオファーも貰っているが、これは考え中)。
3. 働くステージを変える
前述した話に被るが、法人で明確にやりたい事を決め、個人の業務も意味のあるもの (単純な開発はやらない) という決めを行なったため、仕事の方針でも悩む必要が無くなったのは良かった気はする。
今は、仕事を貰っている企業を成功させる事が自分のミッションでもあるし、平行して教育事業を動かし始める事 (本当は今年開始する予定だったが、コロナの問題が強くお金を貯めるだけにした) もあるので、明確にやりたい事以外はやらないようにし始めた。
時間だけの投資にはなるが、勉強会の仕掛け側の手伝いをしたり、エンジニア転職やフリーランス転向などの相談にも乗り始めるなどで、動かし方を考え始めてはいる (どれもオンラインなので難しくはあったりするけど)。
来年は自分がお金を稼ぎつつ、事業を手伝ってくれる人を探すとかがミッションかなとかも思う (関西でそう上手く居ないと思うので、育てる所から必要だと認識している)。
資産形成について
現在はほぼ個人で活動しているため法人の売上もあまり大きくはないが、CF は大きく改善し、個人と法人 (法人は自分の報酬を下げたが) ともに利益が数百万程度残るようになった。
そのため、法人は現状無収入でも数年保つし、個人は今の家族構成と支出を数年の推移 (子供ができたりを考慮) を考えても問題ないだろうと思う。
教員時代は株式投資を好きでやっており (これは法人設立時に整理した)、投資を再開する事にした。
今まではキャッシュが全く残らないくらいだったので、色々な部分に余裕ができてきて、良いサイクルになっていると思う。
個人の仕事はそのうちほぼ無くし、法人のみに移行したい気持ちがあるので、今後の力の入れ方は法人の教育事業になると思う。
個人の資産形成は出来れば数年程度個人で不動産賃貸による投資に注力し、5 年後あたりで法人化できたらなとかを思っている。
税金を考えた上で、個人の資産形成と年収 UP を狙ったのも、この投資に融資を引くのに必要だからという意味もあるし、家族を持つと色々お金が必要になるからでもある。
ついでに、今までは生命保険も適当にしていた (親が加入させていたものだけだった) が、今年知りあった保険屋さんと話をし、自分に何かあった時のプランも今から作る事にした (個人型の年金としての側面もある)。
多分数年は未だ必死に働かないと駄目だと思うし、40 歳までは労働多めでも頑張ろうと思う。
元々勤勉でも勤労なタイプでも無い自分がここまで頑張れているのは今の嫁のおかげでもあると思っているので、早く二人 (子供は未だだけど、そのつもりはあるので、そっちは自分で頑張って欲しい) で駄目人間を謳歌できる身分になる事を夢みて来年も頑張ろうと思う。